辻くんブログ

思ったことや感じたことをつらつら書いていきます!

「生きている」という有難さ。

久々にブログを書きます。

久々すぎるので気負い過ぎず書きましょう。

思ったことをぶわああっと書きましょう。

 

さて、今日は「生きる」ことに書いていこう。

 

最近、「これが、生きてるってことなんだなあ」と実感する事があって、どうにも形に残しておこうと思い、「あ、そういえばブログやってたなあ」と思い出して。それで、ブログを書くことにした。

 

11月8日。妻と結婚して2か月ちょい。来月には第1子が生まれる予定。

妊娠が発覚してからは、ホントにてんやわんやで「本当にやっていけるんだろうか」と何度も悩んだが、今無事こうしてあとちょっとで生まれてくるところまできた。

勿論、生まれる前よりも生まれてからの方がとても大変なんだろうけど、今はとりあえず一安心してる。

 

このブログを読む人はほとんどが僕と同年代だろうから、一応妊娠がわかってからどんな風に流れていくのか簡単に書いていく。これが「生きてることの実感」にもつながる。

 

妊娠してる、とお医者さんに言われると、そこからはだいたい1週間から2週間、1カ月おきにお医者さんのところに行く。これは妊娠〇か月かによって変わってくる。最初の妊娠初期は1週間に1回とか、安定期に入ると1か月に1回とか、2週間に1回とか、後期になると毎週とか、そんな風である。

 

妊娠初期はもう、「赤ちゃんだああ」なんてことを実感する事なんてほとんどなくて、お腹の中で生きているのかどうかすらわからない状態が続く。おまけに妊婦さんはこの時期、つわりとかで体調面も精神面も不安定で、おまけに現状への不安、先への不安でたいへんなことになる。おなかの赤ちゃんが生きているかどうかわかるのはお医者さんに行って、エコーを見て心音を聞くときだ。

 

ドッドッドッドッ

 

と診断室に赤ちゃんの心臓の音が響く。

ここでやっと「ああ、元気ですね」と言ってもらえて、僕たち夫婦は安堵する。

この瞬間は本当に嬉しくて、最初の方は毎回心音を聞くたびに号泣していたのも、今では良い思い出(とか言いながら今でも泣きそう)

 

こういうとき、「ああ、生きてくれてる」って感じる。生きている、ただそれだけなのにとても嬉しく思う。それは今ではもう涙はこぼさないけど、今もずっと変わらない気持ち。「生きててくれてありがとう。」って思う。本当に心からそう毎回思う。

 

今では胎動もはっきりしてきて、手で触ってなくても見てるだけで動いているのがわかるようになった。とっても愛おしく感じる。

 

今まで「生きてることに感謝」出来る人には会ってきた。皆とってもあたたかい人たちで、本当に心から生きてる事に感謝できている人達に見えた。でも、その時の僕にはいまいち「生きてることに感謝」するってことがわかってなかったと思う。「生きてることに感謝って言われても、そりゃ感謝すべきだろうけど、なんかそう思ったとしてどう生きていきゃええんや」って思ってたと思う。

 

子供が出来て、最初は生きてるのか生きてないのかもわからない時期が続いて、今、もうちょっとで会えるって日が近づいてて思うけど、本当に「生きてる」ことはめちゃめちゃ尊い事だし、奇跡だし、素晴らしい事だなあとおもう。

 

このことは、ぼくはずっと頭の中と心の中に持っておこうと思う。

僕の大切な人達が生きている尊さ。ありがたさ。

子どもにも伝えたいこと。生きててくれてありがとう。

あと1か月、しっかり元気に生まれて来いよ~~~~

 

 

教育に関して

どうも辻真樹です。

今回は、友人から「教育に関する記事を書いてほしい」というお声をいただいたので、僕個人の教育に対する考えを簡単に書いてみたいと思います。(あくまで僕の問題意識、僕の理想を勝手に話してます。読み返しましたが支離滅裂です。近々書き直します)

 

僕が一番興味と関心と問題意識を持っているのは、高等教育に関してです。まあ、一つ「高等教育」と言っても、問題はたくさんあると思いますが、今回はその中でもキャリアに関する事を書きたいと思います。

 

“教育”というと、“学び”とは違い、そこには、「教える側」の存在と「教えられる側」の存在があります。必然的に二者存在します。多くが大学までが「教育」の場として定義されると思います。

とすると、大学までの教育の場が何の目的で存在しているかですが、僕の定義では、「その後の人生をより豊かにするため」というのが大きな目的なのではないでしょうか。そこの大目的を達成するために諸々の要素があるように思います。

そして「その後の人生をより豊かにするため」と定義すると、必然的に教育の場は何十年も先を見据える必要があります。学びを享受する者が、その学びを発揮する時は学びを授かった“後”なので、その学びは、普遍的であるか、未来性を帯びていないといけません。

そこで「先生」という概念が存在します。先生、つまり先に生まれた人はその生徒(子供)の10年後、20年後は想像できたのです。だから、先生は自分の人生を遡って考えてみて、その生徒に未来に活かせる学びを教示することが出来たのです。

しかし、これは、時代の変化が遅いという前提があります。先生が「先に生まれた人」として価値を発揮するのは、その生徒の未来を予測することが出来る時代に限られます。予測できるからこそ、教えることが出来るのです。

つまり、今のこの変化の早い時代、先生は「先に生まれた人」としての価値を発揮することはできません。先生が生きている現在と、生徒が先生ぐらいの年齢になる未来は大きく異なることが予想されるからです。

変化の遅い時代は、今この学びが未来にどう活きるかが予測できました。しかし、変化の速い時代では、今この学びが未来にどう活きるかは予測できません。

事実、これまでの教育で重要視されていた「処理能力」や「知識」は、コンピュータやインターネットの出現でそれほど必須能力というわけではなくなりました。「論理的思考力」も重要視されてきましたが、それらはもうテクノロジーの専売特許となりつつあり、“20年後に無くなる仕事ランキング”などの上位には論理的思考や専門知識を用いる仕事が並びます。

よって、「その後の人生をより豊かにするため」の教育は、「先生が生徒に教える」という構図を改めないといけないのです。では、今、この時代、「その後の人生をより豊かにするため」の教育はどうあるべきなのか、と言うのが私の問題意識の矛先です。

 

そしてこの問題意識の解決策、というか教育の在り方として3つの段階があると考えます。

  1. 予測可能な範囲の未来を学び、予測不可能なことが多いという事も同時に知る。
  2. 個々人に専門性を身に着けさせる
  3. 予測不可能な未来に臨機応変に対応できる力を身に着けさせる。

 

の3点です。それぞれについて説明していきます。

 

  1. 予測可能な範囲の未来を学び、予測不可能なことが多いという事も同時に知る。

2045年問題というのが一般的にも知られるようになってきて、「仕事がなくなる」というセンセーショナルな研究結果も出てきて、今まで以上に「未来」という事に対して知る機会が増えました。未来に対してその可能性も危機感も感じられる事は、学びに対する意欲にもつながると思います。未来がどう変わるのかを知り、そこで僕たちがどう生きるのかを感じる。それは手段としては、既に出されている予測を知るのも良いだろうし、テクノロジーに触れてみるというのも一つです。

そして一方で、これだけ時代の流れが速くなってくると、予測できない事、予測を超えることも出てきます。まずはそういう時代に僕たちは生きているんだという自覚を持たせることがこれからの教育において子供たち、生徒たちに知ってもらうのが第一歩なのではないか、と思っています

 

  1. 個々人に専門性を身に着けさせる。

 未来について考えると、確実に言えることは、テクノロジーの発展です。AIやロボット技術、VRやARなどの拡張現実の技術などは数年前の世間では誰も知らない言葉たちでした。しかし、これからこういった技術は、職場や学びの場でも多く使われるようになっていくのは予測可能だし、これらの技術によって私たちの生き方、働き方も変わっていくだろうというのは大いに想定できる未来です。そこで、例えば、労働というのがこれからの未来でも存在し続けると仮定した時、労働はテクノロジーに任せるには割に合わないような超単純作業と、テクノロジーが発展したとしても代替不可能な専門性の伴う仕事の2極化が進むだろうと思います。

 こういった2極化が進むとき、私たちが「人生を豊かに生きるため」には、後者の仕事に従事することが求められます。教育機関によって、高度化する仕事に対応できるレベルの専門性を身に付けさせるというのが未来の教育の在り方なのではないか、と思っています。

 これは可能か不可能化で言うと僕は可能だと思います。例えば、「専門性が身についた状態」というのを「プロフェッショナルである」と置き換えたとき、マルコム・グラドウェル氏が提唱している「一万時間の法則」を引っ張り出してこれます。これと大学機関を照らし合わせたとき、1日4限、週5日、院まで行ったとして6年間で計算したらちょうど9000時間を超えるぐらいになります。大学で学ぶことによって専門性を身に着けるのは理論上可能なのではないか、というのが僕の仮説です。勿論、この前提として「好きな事をしている」というのが条件としてあります。なので、むしろ重要なのは大学選択です(ここでは、大学機関が教える側として専門分野を身に付けさせられる場だと仮定しています)。高校時代までに1で述べたような未来に対する期待と危機感を感じてもらう。そして、大学選択の段階までにその生徒の興味と関心を作り出す。そして興味関心にあった大学学部学科専攻を探す。 大学に行けば、学びたい事を学ぶ事が出来るというのが僕の理想です。

 

  1. 予測不可能な未来に臨機応変に対応できる力を身に着けさせる。

正直、これが一番大事です。「力」とは僕は2種類あると考えています。

一つは教養です。社会はどうなっているのか、世界はどうなっているのか、自国と他国では何が違い、どんな意見があり、それにはどんな価値観が源泉としてあるのか、それらに対する知識、理解は時代の変化を読み取り、未来を予測して行動指針を決めるうえでは欠かせないものです。また、グローバル化やテクノロジーといったものが僕たちの生活を変えると言われている中で、やはり英語力やプログラミングスキルも同様に教養として学んでいく必要があるでしょう。これらがないと、たとえ専門性を身に着けたとしても、宝の持ち腐れになってしまいます。英語やプログラミング、歴史、文化、道徳、倫理観、宗教など俯瞰的に学ぶ事は今まで以上に大事な事だと考えています。

そしてもう一つは姿勢の問題です。「臨機応変に対応できる力」というと物騒ですが、簡単に言えば、「謙虚であれ」みたいなものです。たとえ、専門性を身に着け社会に出たところで、もしかすれば、その専門性は数十年後には何かに代替されているかもしれません。それはだれにもわからないのです。よって、己の能力を過信せず、常に学び、問い続ける姿勢が大事だと思っています。学びの中でも受動的に知識を吸収するだけではなく、常に問い続ける能動的な姿勢が求められます。「学問」とは「学び問う」と書きますが、世界がどうなっているか学びを通して知り、学びによって世界がどうなっているのかを解き明かしていく姿勢が大事です。

 

長々と書きましたが(既に3000字)、僕自身、教育に関するインプットはまだまだ足りていないと感じています。長くなるのでいくつ説明をふっ飛ばした部分がありますが、それでも3000字になってしまったので、教育に関しては直接どこかで皆さんと議論出来ればうれしいです。

 

では!

高校生向けのフリーペーパーに載ったインタビュー内容

以前、学生団体A.L.Kという団体が作成している岐阜の高校生向けフリーペーパーにインタビューされました!

 

このフリーペーパーは、岐阜の高校を卒業した大学生のインタビューを中心に、大学のリアル、高校時代にすべき事等を今の高校生に伝える事を主眼に置いてやっています。

その中で、岐阜から大阪に来て色々なんかやってそうでなんもやってない僕に声をかけていただき、僭越ながらインタビューさせていただきました。

 

面白かったのが、インタビューをしてくれた人が僕の高校の後輩だったんですが、その日、東京から大阪にわざわざ僕にインタビューをするためだけに来てくれたんですよ。(笑)地元への想いの強さをヒシヒシと感じました!

 

張り切りすぎて多分3時間ぐらい話したんじゃないんですかね…。(笑)

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6月に発行されたんですが、読み返すと「これは残しておきたいなあ」と想い、ブログに載せてみます。

 

Q.部活と勉強を両立させる方法はありますか?
A.両立は難しいことだと思う。重要なのは覚悟と計画性。自分が高校卒業後どこに行きたいかを早めに設定すること。俺は高校に入る前からずっと東大に行きたいと思っていたけど、成績が落ちて。このままだとダメだと思って、一年生の夏が終わったあと、硬式野球部から軟式野球部に転部した。
でも周りには勉強も部活もすごくできた人がいた。そういう人たちの共通点は、英単語や古典単語みたいな小さいことを毎日やっていたかな。毎日そういう小さなことをコツコツやっていた人は、部活を引退してからグンと成績を伸ばしたり。
勉強に必勝法はないと思う。ただ大切なのは後悔しないことで、そのためには周りの人の言うことに従うんじゃなんくて、自分でこうしようって決断すること。そうすると、反省して次に繋げることができる。

 

Q.生徒会長を務めていたときのことについて聞かせてください。
A.高校で生徒会長をやりたいと思っていたんだけど、野球をやめたりして高校に行けない時期があって。だから、二年生になってようやく行けるようになったときに、友人が「お前しかおらんやろ」と言ってくれたのがなかったらやってなかったと思う。
やってよかったと思うことはたくさんあるよ。自分が決めたことが後輩に受け継がれたり、仲間と一緒に何かを作り上げたりしたのは楽しかった。あとは全校生徒1000人の前で話すという滅多にない経験ができたこと。どういう話をするタイミングなのかとか、伝えたいことがたくさんある中で何を伝えるべきなのかを考えて話したいことを話せた、いい経験だった。

 

Q.生徒会長や應援團など様々な経験をされていますが、受験期に不安はなかったですか?
A.任期が終わるまでは自分の仕事をしっかりやって、それが終わったら勉強に切り替えるってちゃんと決めてたけど、勉強は嫌いだから全然やる気はなかったな。やらない後悔よりやる後悔は俺のモットーでもあるけど、高校生の内は何でもやってみるのがいいと思う。高校三年間は、他にはない時間だから。たとえば大学では友達が常にいる空間ってないけど、高校にはクラスっていう、そこに行けば友達がいるっていう特別な空間がある。そこでできることややりたいことはどんどんやっていくべきだと思う。

 

Q.辻さんが考える「リーダー」とは?
A.カリスマ性は要らないと思ってる。真摯さ、つまりは初志貫徹、人を裏切らない、約束を守る。そういうことをしっかりできる人っていうのが最低条件かな。そういうのが基礎になかったら人はついてこない。真摯さと、それから個性。つまりは「俺はこう思うから賛同するやつはついてこい。俺は絶対に諦めないし成し遂げるから。」っていうように、真摯さの上に、気持ちが入った自分の考えを持って行動している人。まずは自分が魅力を感じて、興味を持ったことをやってみるのがいいと思う。

 

Q.高校生におすすめの本は?
A.「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健 ダイアモンド社)と、続編の「幸せになる勇気」(同)。アドラー心理学をベースにしている本なんだけど、人間関係で悩んでいる人には超おすすめ。人間の悩みはすべて人間関係から生まれるって言ってて、この本を読んで俺も肩の荷が下りたから。大学生は交友関係を選べるけど、高校生はコミュニティが決まってて、ストレスを感じたりもする。そんな中で生きる高校生におすすめします。

 

Q.大学は何を為す場ですか?大学を選ぶためにはどういう準備が必要ですか?
A.大学は学問を学ぶ場所。学問というのは、一般教養と専門性。AI(人工知能)などが出てきて人間がする仕事は減るって言われている中で、人間が仕事をするとき重要になるのが専門性と言語で。大学で目的意識をもって勉強すれば、その専門性を身に着けて社会に出るのに備えることができると思う。一般教養は他の分野への理解に必要で、そしてそれを学ぶことで自分の専門分野の社会での存在意義を理解できる。
大学を選ぶためには、将来どういう仕事をしたいかを高校生の内から考えないといけない。高校生がするべきなのは、将来から逆算して考えること。そして大学を選ぶときには、偏差値とかも取っ払って、教授で選ぶのがいいと思ってる。

 

Q.尊敬する人物は誰ですか?

A.両親。二人とも自分がやりたいことをやっているし、それに理由や目的があるから。俺はそういう大人をずっと見てきて、カッコいいなって思ってた。ビジネスをやっていく中で、この人すげえな、俺はこの人に追いつけるのかなっていう人にはたくさん会ったけど、やっぱり俺の根底にあるのは親だなって思う。こういう親、こういう大人になりたいと思う。

 

Q.辻さんの夢をお聞かせください。
A.夢というかビジョンで言うと、より多くの人を幸せに、笑顔にする仕事がしたい。テクノロジーとグローバル化の発展の中で、日本人が人としてどう働くのかをすごく重要視してて。限られた仕事の中で、人間ができることが高度化していく中で、労働に対するやりがいとかモチベーションってすごく大事。働く人の生活って大きく睡眠・余暇・労働から成り立つけど、どれが一番プラスになれば人間が幸せになれるかっていうと労働だと思ってて。だからその人に合った仕事環境や仕事の仕方を個々に教えたり、組織がどうあるべきか考えることなど、そこにアプローチする仕事がしたい。

 

Q.高校生に向けてメッセージをお願いします。
A.自分の人生の責任は自分で負うこと。自分で決めること、自分で探すこと。これらは一人の人間としてすごく重要で、これらをやってきたから、俺は今すごく楽しい!

 

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このインタビューをされたのが、2016年の2~3月ぐらい。

今とも全然考え方が違うし、自分のインタビューなのにスゴイ新鮮です。

 

改めて、G-yao編集部の皆さん、この場を借りてお礼申し上げます。

素敵なインタビュ―記事を作っていただきありがとうございました!

また、何か機会があれば、よろしくお願いいたします。

 

 

就活の罠~18卒の内定はもう出ている~

 こんにちは。辻です。

このブログの存在意義も、僕がツイッターで書いている内容の中で特に反響がデカかったもの、説明が必要なもの等を解説するものになりつつある。

 

と言っても、これがまだ4本目なんだけれども。

 

最近、就活系のツイートを多くしています。

それに対する反響も結構あって、RT&いいね以外にもリプライやDMをいただくことも多くなりました。(以下、主だったものを抜粋)

 

 

 

 

 

まあ、こんな感じなんですが、今回話しておきたいのは、就活時期についてです。

15卒辺りからいろいろ言われている就活時期に関してですが、18卒に関しては、依然ニュースになっていた通り、17卒と同じ日程で進むらしいですね。

就活、来年も同日程 面接6月から、経団連調整 :日本経済新聞

 

この”就活時期”。ニュースの表面だけ読んだり、また聞きしているだけでは大きな誤解を持ってしまう可能性が大変大きいんです。

なので、今回は、この就活時期というものに関してと、秋以降の過ごし方について、17卒の就活も経験している私からちょっとしたアドバイスを、と思っております。

 

まず、1つ目。この就活時期が何を指すのかを説明したいと思います。

上記の記事の最初の1文を抜粋してみましょう。

「 経団連は企業による学生採用活動のルールについて、2017年(入社時期は18年)は日程を変更せず、16年と同じにする方向で調整に入った。企業説明会と面接の解禁はそれぞれ3月1日と6月1日。」

ここで重要なのは、主語”経団連”です。

経団連は、正式名称を、「一般社団法人日本経済団体連合会」といい、1000社以上の日本全国の代表的な企業が参画しており、それらの企業が一つの総合団体の中で意見を交わし合う事で、日本国民の生活の向上や経済発展を使命としている団体です。

実際、普通にガチで名だたる企業が参画しており、会長は東レ相談役、副会長もトヨタ会長を含め、そうそうたるメンバーが並んでおります。

ただこの経団連ベンチャー企業はほとんど参画していません。先日、楽天が脱退して話題になったように詳しい数字はわかりませんが、2000年以降に創業した会社はパッと見たところほとんどありませんでした。

 

ここで重要なのは、上記の取り決め、つまり「企業説明会と面接の解禁は3月1日と6月1日」というのは、経団連が決定しており、それを遵守すべき対象は経団連加盟企業のみだという事です。

経団連加盟企業は合計で1340社しかありません。

上場している企業数の合計だけでも3000社を超えていますし、そもそも大企業の数は12000社以上有ります。

また、日本の合計の企業数は400万以上あります。

大企業の合計だけでも経団連加盟企業は1割程度ですし、日本全国の企業との比では0.03%しかありません。

つまり、日本にあるほぼすべての企業は「企業説明会と面接の解禁は3月1日と6月1日」を守る必要はないのです。

まず、ここが僕が出会う学生の多くが勘違いしている点です。

他のほぼすべての企業は、いつでも内定が出せる状態にあるという事です。

であるにもかかわらず、なぜ実際、多くの企業がこの慣例に基づいて採用活動を行っているかというと、それは多くの学生が、

「中小企業よりも大企業が良い」という考えで就活をしているからです。

つまり、大企業が内定を出す前に、中小企業が内定を出したところで、その学生に大企業から内定が出てしまえば、学生は中小企業の内定を蹴ります。

ですから、結局、日本の99%を占める中小企業の多くは大企業の採用活動がひと段落してから採用活動を本格化させてゆくのです。

 

といっても、全ての中小、または大企業がそういう流れに乗っているわけでもありません。IT企業を中心とした気鋭のベンチャー企業などは、1企業として十分に企業力を持っており、またブランド力も持ち合わせています。

これらの企業の場合、経団連が作り出す採用活動の流れに全く巻き込まれず採用活動をしています。

これが、このブログの題名である「18卒の内定はもう出ている」に繋がります。

実際に、既にサマーインターン等で優秀な成績を収めた18卒の友人がその企業から内定をもらっていました。(しかもこのベンチャー企業は上場もしています)

 

僕が以前、インターンに行っていたワークスアプリケーションズなどは「内定パス」と称し、1年生に対しても優秀であれば、「大学卒業後3年間いつでも入社していい」という権利を与えたりします。ワークスも全世界に約5000人の従業員を抱える大企業の1つです。

 

これらの例はあくまでよくある事例のうちの1つであり、夏から秋にかけて内定を出す企業は会社の規模を問わずたくさんあります。

そういった情報を知らず、「就職活動は3月からでよい」と思い込んでいると大変な後悔をする可能性もあるのです。怖い怖い。

 

では、これからどうするのが良いのか。

 

この夏は割と動きやすかったと思います。というのも、企業もバンバン広告費使ってサマーインターンの告知を行っていたので、「就職活動の事なんて何も知らなくてもあれよあれよでサマーインターンに参加できた」なんてこともあるでしょう。

しかし、問題は、この秋以降です。

僕は去年経験していますが、秋以降、企業からの告知は大幅に減ります。ここで、受け身で夏を終えた学生は何をしていいか全くわからなくなります。そして、サマーインターンに一応行ったにもかかわらず何もわからないまま3月まで過ごしてしまう場合もあるわけです。

そうなると、サマーインターンにわざわざ行った意味は全くなくなってしまいます。

 

では最後に。僕の個人的見解ですが、アドバイスをば。重要な事は大きく3つ。

1つは、自分に合った就活メディアを使い倒してください。最近は、就活支援事業への参入障壁が低くなって、数多くのメディアがあふれています。その中で、地域や企業規模なども考慮しながら、自分に合ったメディアを探し、それらのサービスを毎日といっていいぐらい嘗め回すように見てください。

次に、秋以降は、企業が出てこない代わりに、”就活支援”系の企業、組織、団体がイベントを打ちまくります。これらには出来るだけ全部参加してみてください。学生目線で「これが良い、それは悪い」なんていう選球眼は備わっていない場合が多いですし、たいていそれは「行きたく無い、面倒くさい」理由を列挙しただけに他なりません。対策講座でも、説明会でも、なんでもいいので目に留まったイベントにはすべて行くべきと思っています。

最後に、Facebook始めましょう!17卒と18卒で一番違うのは、Facebookの利用者の数です。これは実感値ですが、18卒はFacebookやっている人が凄い少ない感覚があります。FBは、企業の人事や就活支援の人と公的に繋がれる一番いいツールです(LINEやTwitterよりFacebookが大人と関わるSNSとして最適です)。これによって、自分の普段の生活を人事向けにアピール出来たり、就活支援やっている人からイベントの正体が来たり、18卒限定のグループに招待してもらえたり、LINEやTwitterでは享受できないメリットがたくさんあります。そんなに手間ではないので、是非始めてみては!(※個人情報等の流出は責任持ちませんが…。)

 

長くなりましたが、就職活動において、17卒就活を経験した身から18卒の皆さんに伝えたい事は全て伝えられたと思います。

これに関する質問や相談、意見はツイッターのDMやリプライでどしどしご連絡いただければ、と思います!!ではー!

 

(あくまで個人的見解←)

 

 

throughputの意義

早速ですが、皆さんの中で「自分の知らない言葉が、いきなり口をついて出た」という経験をした人はありますか?思い出してみてください。…恐らく、いないだろうと思います。

 

では、「何と言っていいか表現できない気持ち」になったことはありませんか?これは、あると思います。

しかし、それは、本当に何と言っていいかわからないのではなく、単にその気持ちを表現する言葉を知らないだけだと僕は思います。

 

人間が文字を操るようになって4000年ぐらいたちました。言語を操るようになって200万年ともいわれています。

その歴史は、まさに「何と言っていいかわからないモノ」に名前を付けてきた歴史ともいえます。

私たちが直面する「何と言っていいかわからない」問題が、この歴史上初めて出てきたものだとは考えにくい。つまり、それもこの歴史のどこかで言語化されているはずです。

 

…言語について文字数を使いすぎました。つまり僕が何を言いたいかというと、

人間は自分の知っている範囲の言葉でしか物事を表現できない。

もっと言えば、自分の知っている範囲の言葉でしか物事を見たり聞いたりすることもできない。

という事です。

これが「アウトプットはインプットに依存する」という事です。

自分がどういう人生を歩むのか、どれだけ自分の理想とする人生を送るか、は、どれだけの事を知り、見、触れてきたかに依存します。そもそも自分の知っている範囲でしか理想を描くことはできない。

 

子供の夢が「野球選手になりたい」とかってなるのは、その時、自分が知っている職業が野球選手ぐらいだから、という事になりますし、それは大学生でもあり得る話です。

「安定志向だから大企業」

も就職の時よく聞く話ですが、なぜ大企業だと安定なのか、倒産やリストラの危険がないのはなぜか、大企業というくくりはそもそも正しいのか。

そこまで言える人と出会ったことはほとんどありません。

 

「知る」意義はここにあります。人生をより豊かにするために、多くの言葉を学び、多くの経験をし、多くの人と出会う必要があると考えています。

 

しかし、ここで重要なのは、「インプット量が100だからと言ってアウトプットも100になるわけではない」という事です。

 

重要なのは、“throughput(スループット)”です。

スループットはアウトプットとインプットの間にあります。

 

インプット:どれだけの事を学び経験し

スループット:そのうちどれだけの事を自分のものとして取り入れ

アウトプット:自分の人生に生かすか

 

この3つ、特に真ん中が重要です。

僕はこれをよく食事に例えます。

多くのおいしいものを食べても、それをしっかり時間をかけて咀嚼し味わわなければ、栄養も自分の体には入っていきません。「しっかり噛む」これが一番重要です。

 

本を読んで「いい本だった」で終わっても意味がないし

イベントに出て「刺激をもらった」で終わっても次には繋がりません。

 

本を読んだら、気になったところをまとめなおしたり、

イベントに出たら、その後思ったことを自分なりに言語化しておく。

こういう「しっかり噛む」作業が自分のアウトプットに繋がっていくわけです。

 

「アウトプット=インプット×スループット(%)×行動(%)」

僕はこの公式を凄い大事にしています。

 

具体的には、例えば

  • 本を読んだ後は30分入浴して、今読んだところを考え直し、そのあと気付きがあれば言語化する
  • 人と話すときはボイスレコーダーを回しておき、あとで聞きなおす。
  • 瞑想する

 

とかです。どれも簡単にできることです。この「間」が大事な時間だと思います。

 

 

スマホを持つようになって僕たちはもしかしたら、「知る」手間と時間は前より少なくなったのかもしれません。しかし、同時に、自分の事、知ったことをしっかり見つめなおすような時間が減ってしまったように思います。

皆さんもこのコラムを読み終わったら、ちょっとパソコンを閉じ、iPhoneを置き、ちょっと目をつぶって、

今、何を読んだのか

自分が今している“インプット”って何だろう

自分には“スループット”の時間がしっかりあるか

自分がすべき“アウトプット”って何だろう

そもそも何で生きていて、どこに向かっていくんだろう

みたいなことをちらっと考えてみてほしいです。

 

その眼をつぶった数分が、大切な人生の「間」になっている事も忘れないでほしいな、と思います。

 

では!!

多数派がいつも正しいというわけではない。

今回のテーマは「多数派がいつも正しいというわけではない」という事
特に、大学生活において…。

大学生の多数派と言えば
大学合格をゴールとして、大学入学後の過ごし方に明確なビジョンはなく、部活やサークルになんとなく身を置き、なんとなくバイトをし、なんとなく単位を取り、なんとなく卒業していく、そんな大学生の事を言います。
やや、横暴な言い方をしていますが、間違ってはいないと思いますし、実際それを私自身が否定しているわけでもありません。これが“多数派”であり、これが大学生の“普通”です。
そして間違いなく、普通であることは何よりも楽でしょう。先人たちが築いた“大学生像”があり、それを真似ればいいわけです。何も考えなくても良い。大学に入学したら、サークルや部活のチラシが手元に溢れかえり、新歓に行き、出来たばかりの友人たちと「ここ面白そうだな」と言い合い、入っていく。これが普通だと思いますし、僕も一大学生としてこういう大学生を多く見てきています。

最初に言っておきますが、このコラムの結論は「皆と違う事をしろ」「周りに合わせるな」という陳腐なものではありません。特に日本人は民族的に周りの合わせたがる民族です。(詳しくは内田樹さんの日本辺境論などを読んでみてください)
いわば、周りと合わせることも日本において“普通”なのです。

では、何が言いたいかというと、「多数派が間違っていた時」の話です。

多数派は、常に普通であり一般でありますが、それが正しさに繋がるわけではない。多数派だからといって、その後も普通であり続けるわけではない。
これからの時代、いたるところで言われていますが、今ある仕事はテクノロジーの発展により次々に無くなっていきます。そして、テクノロジーの発展はグローバル化に拍車をかけ、物理的な距離は関係なくなっていくでしょう。また、日本は少子高齢化ですから、外国から労働力を確保するかもしれません。石破さんも以前、移民政策に前向きな発言をしていました。また中国の大学卒業者数は史上最高の750万人に達しました。しかもそのうち150万人は就職できていないそうです。そして、日本の大学卒業者数は50~60万人ぐらいです。
この現状をどう考えますか?

私は危機感をもっています。自分の将来に対する危機感です。「本当に日本の大学生における“普通”でいいのか」と真剣に考えています。
まだ私は世界を知りません。留学もまだしていないので、実際の海外の大学生のレベルを知っているわけではありません。しかし、そのレベルが脅威となることは間違いないでしょう。

私たちは、この4年間またはそれ以上の大学生活をどう過ごせばよいのでしょうか?
私たちが多数派と思っている層は、世界においては少数派なのかもしれません。多数派が正しいという事もなくなるのかもしれないのです。
勿論、過ごし方に私が示せる答えはありません。しかし、ただ一つ言えることは、
「自分の未来の責任は、他の誰でもなく、今の自分が負う」
という点です。
将来どんな人生を送ろうと、その責任は自分にあります。今の自分の選択(選択をしないという選択も含め)の積み重ねが将来に繋がります。
私はそう思って生きています。実際に、大学生でも行動を起こし、日本国内に収まらず世界に活躍の場を広げようとしている人達もいるのです。何をするにしても決して不可能ということはないのです。

「周りの人が何とかなってるから、まあ自分もなんとかな」らない時代が絶対にすぐきます。
今のままでいいなら、今のままでもいいんです。強制はしません。する資格も私にはありません。
が、今のままじゃヤバいな、と思ったら、チャンスです。何かしらアクションを起こしてみてはどうでしょうか。

上から目線に聞こえていたら申し訳ありません。
ただ私もまだまだだと思っています。
同じ日本の大学生として、ともに頑張っていけたら、と感じています。

お互い頑張りましょう!

では、アディオス!

大学生活前半でやっておくべき3つの事。

以前、ツイッターで下のような投稿をし、投稿を募りました。上回生や社会人が答えてくれた内容をもとに、僕なりにまとめてみました。

 

①己を知る。

 

鍵@Masaki_2G 様々な人の価値観に触れて自分の中で常にどう思うか、それはなぜかを問うこと。(手段は日本一周だろうがサークルだろうがインターンだろうが書籍だろうが構わないけど)

 

この2つの投稿にあるように、まず自分がどこまで頑張れるのかであったり、自分の思想やそれがもたらす傾向について知ることは、大学生活前半でやっておくべきでしょう。大学生活の前半は、新しい生活に慣れていくとともに、あっという間に過ぎます。そして目の前の事に追われ、自問自答する機会も少なくなり、ただ日々を”こなす”だけになってしまいがちです。

日常の中で、自分とは何か、について知ろうとすること、そして若きうちに己の限界値をある程度知っておくことはとても重要になってくるでしょう。

 

②世界を知る

 

週刊ダイヤモンドを読む!笑 経済学部に限る話やけどこれ読んでたら普段の大学の授業がいかに有効か分かる!笑

 

①で「己を知る」ことの重要性を書きましたが、同時に、世界を知ることも重要になってきます。逆に言えば、世界を知ることでしか、己を知ることはできないとも思います。自己を定義する時、より強固な自己を確立するためには、相対性の世界に身を投じる必要があります。世界を知り、自分とは違う考えに触れ、それに対する批判的な精神こそが、自己を確立する礎になります。

また、世界を知る必要性が生じるのは、そもそも高校生のうちに知っている世界というのが狭すぎるからです。

高校から大学に入れば、その自由度は格段に高まります。自分でできることが増えるので、「世界って広い!大学ってなんでもできる!」と大学入学後2か月程度の浅はかな経験から思ってしまいがちです。しかし、大学生活の4年間で出来ることは、思っている以上にたくさんあります。「なんでもできる」とはどういうことなのか、そもそも何をすべきなのか、を本や人や授業やインターンから学び取っていく事も重要です。

 

③単位を取る。

 

 鍵 大学の勉強。3・4年あたりで自分に専門性つかないまま卒業していくことに悲観してしまわないように・・・。

 

リプライをしてくださった皆さんは、多くが大学の授業以外の課外活動をしている人達でした。その中でも、一番多くの回答が「単位を取る」だったのは、少々驚きました。しかし、僕も同意見です。

このブログを読んでいる人の中でも「大学のうちに何かしたい!」と志高く考えている人も多くいるでしょう。しかし、先輩の多くは「単位を取る」ことを後輩に勧める行動として意見を共にしている事も知っておいてほしいと思います。

 

AIの発達やグローバル化に伴い、人間に求められる能力の一つとして、高度な専門性が挙げられるようになりました。一般に専門性を身に着けるためには10000時間かかると言われていますが、1日6~7時間(授業にして4限)を毎日続ければ、だいたい4~5年で10000時間になります。様々な諸条件はあるでしょうが、理論上大学生活で専門性を身に着けることは可能です。

専門性を身に着けられるだけの環境と時間がありながらそれをせず、小手先のスキルだけで大学を卒業してしまうのが最も残念な事だと思います。

まず、目の前にある自分の学問をないがしろにしないようにしてください。様々な課外活動をしている先輩がかっこよく見えることもあるでしょう。しかし、学問をおろそかにしては本末転倒です。勿論、転部や編入といった道もあるので、今の学問を興味ないながらいやいややる必要もありませんが、そうだとしたら、その現状を有り余るぐらい悲観的にとらえ、次の行動をどう移すべきか、真剣に考えるべきだと思います。

 

さて、①②③の3つにまとめてみました。

「やっておくべきこと」という題では様々な意見が出ましたが、

「避けるべきこと」では、僕は同じ意見が出るのではないか、と思います。

それは、

 

「なんとなく過ごさない」

 

です。

前述しましたが、大学生活はその自由度を含めて、それまで生きてきた生活とは全く違うものです。全く違うものですが、同時にある程度の見えない制約もあります。

それは、「授業」×「サークル部活」×「バイト」のサイクルになることです。一見、自由な大学生活ですが、ひとたびやる事が決まれば、ある一定のサイクルが生まれます。これが見えない制約です。恐らく6月ぐらいからこの生活サイクルに入ってくると思われます。

勿論、このサイクル自体は問題ではありません。ただこれらの生活をこなしてしまうことが問題なのです。大学を卒業するころには、いかなる生活も「楽しかった」と片づけてしまうことが出来ます。「充実していた」と言い聞かせることが出来ます。

本当にやりたい事をできているのか、思い描いた大学生活なのか、は今一度考えるべきだし、自問自答を繰り返すことや、出会ったことのないものに触れる事は有り余る時間を持つ大学生活だからこそできる事でしょう。

 

こんなことを言うのも何様な話ですが、自分自身が巻き戻せたら巻き戻したい大学生活を送ってきたというのもこれを書いている理由でもあります。

是非、前途洋々な大学1,2回生の皆さんには、真に素敵な大学生活を送ってほしいと思います。

 

では!!