辻くんブログ

思ったことや感じたことをつらつら書いていきます!

多数派がいつも正しいというわけではない。

今回のテーマは「多数派がいつも正しいというわけではない」という事
特に、大学生活において…。

大学生の多数派と言えば
大学合格をゴールとして、大学入学後の過ごし方に明確なビジョンはなく、部活やサークルになんとなく身を置き、なんとなくバイトをし、なんとなく単位を取り、なんとなく卒業していく、そんな大学生の事を言います。
やや、横暴な言い方をしていますが、間違ってはいないと思いますし、実際それを私自身が否定しているわけでもありません。これが“多数派”であり、これが大学生の“普通”です。
そして間違いなく、普通であることは何よりも楽でしょう。先人たちが築いた“大学生像”があり、それを真似ればいいわけです。何も考えなくても良い。大学に入学したら、サークルや部活のチラシが手元に溢れかえり、新歓に行き、出来たばかりの友人たちと「ここ面白そうだな」と言い合い、入っていく。これが普通だと思いますし、僕も一大学生としてこういう大学生を多く見てきています。

最初に言っておきますが、このコラムの結論は「皆と違う事をしろ」「周りに合わせるな」という陳腐なものではありません。特に日本人は民族的に周りの合わせたがる民族です。(詳しくは内田樹さんの日本辺境論などを読んでみてください)
いわば、周りと合わせることも日本において“普通”なのです。

では、何が言いたいかというと、「多数派が間違っていた時」の話です。

多数派は、常に普通であり一般でありますが、それが正しさに繋がるわけではない。多数派だからといって、その後も普通であり続けるわけではない。
これからの時代、いたるところで言われていますが、今ある仕事はテクノロジーの発展により次々に無くなっていきます。そして、テクノロジーの発展はグローバル化に拍車をかけ、物理的な距離は関係なくなっていくでしょう。また、日本は少子高齢化ですから、外国から労働力を確保するかもしれません。石破さんも以前、移民政策に前向きな発言をしていました。また中国の大学卒業者数は史上最高の750万人に達しました。しかもそのうち150万人は就職できていないそうです。そして、日本の大学卒業者数は50~60万人ぐらいです。
この現状をどう考えますか?

私は危機感をもっています。自分の将来に対する危機感です。「本当に日本の大学生における“普通”でいいのか」と真剣に考えています。
まだ私は世界を知りません。留学もまだしていないので、実際の海外の大学生のレベルを知っているわけではありません。しかし、そのレベルが脅威となることは間違いないでしょう。

私たちは、この4年間またはそれ以上の大学生活をどう過ごせばよいのでしょうか?
私たちが多数派と思っている層は、世界においては少数派なのかもしれません。多数派が正しいという事もなくなるのかもしれないのです。
勿論、過ごし方に私が示せる答えはありません。しかし、ただ一つ言えることは、
「自分の未来の責任は、他の誰でもなく、今の自分が負う」
という点です。
将来どんな人生を送ろうと、その責任は自分にあります。今の自分の選択(選択をしないという選択も含め)の積み重ねが将来に繋がります。
私はそう思って生きています。実際に、大学生でも行動を起こし、日本国内に収まらず世界に活躍の場を広げようとしている人達もいるのです。何をするにしても決して不可能ということはないのです。

「周りの人が何とかなってるから、まあ自分もなんとかな」らない時代が絶対にすぐきます。
今のままでいいなら、今のままでもいいんです。強制はしません。する資格も私にはありません。
が、今のままじゃヤバいな、と思ったら、チャンスです。何かしらアクションを起こしてみてはどうでしょうか。

上から目線に聞こえていたら申し訳ありません。
ただ私もまだまだだと思っています。
同じ日本の大学生として、ともに頑張っていけたら、と感じています。

お互い頑張りましょう!

では、アディオス!