老いとは何か。
冬。真冬。
朝起きて、時計を見る。寒い。
何だこの寒さは。布団から出たくない。くるまっていたい。
ぬくぬくしていたい。
…などと考えながら、布団の中でもぞもぞしていると、ふと気が付く。
小学生の頃は、真冬でも、雪降っても短パンで学校行ってたなあ。
高校の時は、雪降って裸で運動場駆け回ったら、職員室呼び出されてこっぴどく怒られたっけ。
でも、大学生の今は、寒くて布団から出れないんだもんなあ。
俺も老いたなあ。
あれ、老いって何なんだろう?
下手な前置きごめんなさい。
高校の時は片道8kmぐらい自転車で登下校してたのに、今は大学までの1㎞でへとへと。息が上がる。
これは肉体的な老い。僕の歳で肉体的な老いがあっては恐らくいけないんだろうけど、それでも歳をとるにつれて、避けては通れない。
前までは1食3合食べれたのに、今は1合で吐きそうになる。
これも肉体の老いだな。避けては通れない。胃もたれとともにアラサーになっていく。
高校の時は、1度やった事、1度聞いたことなんかは大体覚えれていたのに、今は全然覚えることが出来ない。
これは脳の老い。僕の歳で(ry これも避けては通れない。
じゃあ、「いやあ、もう俺も歳だし、いいよ」
中年からよく聞きそうなこういう言葉。これは肉体的な老いでも、脳の老いでもなさそう。
”精神の老い”、とか?そんな感じかな。
この精神の老いってやつは、避けては通れないものなのだろうか。
子供のころは出来たのに、大人になると出来なくなっている事はよくある。
女風呂に入ったり、(今やったら犯罪)
女の子のスカートをめくったり、(今やったら犯罪)
股間を出したり、(今やったら犯罪)
いやいや違う違う、こういうことを言いたいんじゃなかった。
何か新しいことに挑戦したり、
しょうもないことで仲間と競い合ったり、
知らないことに興味津々になって目を輝かせたり。
こういうのって、大人になるにつれて、どんどん減っていったように思う。
知らないことを知った気になって、しょうもないことを「しょうもない」って切り捨てて、新しい事には「もう十分だ」と言って遠ざける。負けた時の悔しさを知ってから競い合う事も辞めてしまった。
…避けては通れないものだったんだろうか。精神の老いは避けては通れないものなんだろうか。
改めて、精神が若々しくある状態を考えてみるとやっぱり、子供の時の純粋無垢で無知で好奇心と競争心に溢れた状態なんじゃないかなあと思う。
それが老いていくのは仕方のない事ではないんだよな、多分。
ピッチピチのおばあちゃんは多分いないし、普通の老人だったら若い時より物忘れもするだろう。
でも、若々しい人は70になっても80になっても若々しい。
この若々しさこその指すものこそが、精神なんだと思う。
いつまでも純粋で、知に対して謙虚で、競争心を持っている状態。
そういう人が存在するってことは、精神の老いは避けて通れる道なんだっていう証拠。
そっちの方が楽だから、そっちの方が大人になった気がするから、皆、自分から精神を衰えさせていってしまうんだと思う。
でも、やっぱり若々しく生きていきたいよな。
ぼくも20前半にして肉体も脳も老いてきたけど、精神だけは老いずにこれからも死ぬまで生きていきたいと思う。精神の老いには必死に抗って、本当は知らないのに知った気にならないように、「しょうもない」と切り捨てずに子供の心を忘れずに生きていきたい。
とりあえず、明日はバッッと布団から出てみたいと思います。
では、バッッ!
PS.久々のブログ。思ったことを書けるようにしていこう。文章もやっぱり高校の時の方が書けてたなあ。老いてる。